間もなく改元を迎え、「令和」と言う新しい時代がやって来ます!
平成を懐かしむって言うか、私自身が自転車競技に出会ってから40年が経過します~そう、昭和54年(西暦1979年)から10年、そして平成を丸々30年ってところなんですよネ!!

平成最後の日に、自分にとっての自転車史を、今一度振り返って見たいと思います!

1.エアロブーム
ハマりましたね~いきなり最初からドップリと!
昭和54年・・・高校1年の時!デュラEXには反応薄でしたが、B・イノーがツールで駆ったエアロロードレーサーにゾッコン!!コレが以後の私の自転車人生を運命づける一大事!!大きな第一歩だったんですヨ!!!
最初の年は出会い~2年目は憧れ!そして3年生の時それは現実のモノとなりました!!

イメージ 1

エアロピストでインターハイ、国体に出場・・・

イメージ 2

そして~エアロロードレーサーも手に入れましたが、結局のところその本質を堪能出来たのはここ数年の話でした・・・ヤッパ、ブームと言われるだけあって、当時は喧騒に踊らされただけだったのでしょうか~(汗)

2.Cレコード
出発点から5年後の昭和59年~自身の目標であったカンパニョーロのフルコンポを入手します!!

イメージ 3


イメージ 4

もう、しつこいぐらい当ブログで紹介していますCレコード・・・言いたい事はもう十二分に書いていますので、これ以上は語りません、過去の記事をご参照願います!!

3.インデックスシフター

イメージ 5

時代の変革~エアロの次に来たのは、乗り手に優しい新機構を導入した7400系デュラエースでした。実用を最優先しましたが、導入時はさほど有難いとは感じませんでしたネ・・・でもこのコンポーネントの登場により、それ以前の常識すべてが覆ってしまったのは言うまでもありません!!

4.ビンディングペダル
イノー様が広告塔となった第2弾!先のエアロブームは一過性で終わりましたが、ビンディングペダルもインデックスシフターと同じ、いいえ、それ以上かも知れません!ペダルの歴史を完全に塗り替えてしまいました~

イメージ 6


イメージ 7

御多分に漏れずLOOKのPP-65を入手、まだ対応シューズは無いに等しく、使い古したシューズの底に3つ穴を開けクリートを装着しました!残念ながら使い古しは良くありませんでした~ビンディング(クリップレス)式ペダルはトウクリップ・ストラップが無い分、アッパー、ソール共しっかりしたのじゃなきゃダメだったんですネ!!
対応シューズが出回り始めても、なかなか相性に良いモノに出会えず、何だかんだでライバルであるTIMEが専用シューズをラインナップに加えるようになって、ようやく使える!と実感出来るように変わりました!!
ただ、それ以降はトラディショナルなノーマルペダルは淘汰されて行き、シューズも全体的に大柄で硬い造りへと変わって行きます。そうなるとトウクリップに引っ掛かり、ストラップも締まらない・・・競輪に使えるシューズが無くなっていったのは大きな誤算でした・・・

5.ディスクホイール
いわゆる円盤ホイールですネ~世界選手権トラックでの使用率が上がった事に食指が刺激され、更にやはりイノー様の個人TTでの活躍を見て、手に入れたいと思いました!!

イメージ 8

最初はスギノの廉価版アルミディスク・・・2キロ近く有ったのではなかったでしょうか~その次はアマンダさんのカーボンヒノキディスク、そしてヤッパリ、カンパじゃなきゃってトラック・ロード兼用のカムシンを購入しました!!

イメージ 9

当時、本格競技用だったギブリは高根の花、尚且つ品薄で入手困難!あれから35年近く経つとこんなに増殖してしまいました~(爆)
※黒ギブリのみ私の所有物ではありません

6.ファニーバイク
流行りましたネ~戦闘的なフォルムに惹かれトラックもロードも拵えました!

イメージ 10


イメージ 11

先のアマンダカーボンディスクもファニーロードのためにオーダーしたんですヨ!!ラヴィクレールのエアロワンピースにチネリのエアロヘルメット、イノー派はルディ~レモン派オークリー、いや当時はオークレイと呼ばれていましたネ(笑)
そう言えば、スピードメーターが小型化し一般的になったのもこの時期でした~レモンさんのアボセット流行ましたネ!当然ですが、私も付けていました~!!

7.新素材フレーム
これまた~ラヴィクレール師弟コンビがパイオニアとなったTVT製のLOOKカーボンコンポジットフレーム!!

イメージ 12

それ以前にもアランやアマンダ製のフレームは有りましたが、兄イノー、弟レモンの活躍でその存在は一気に広がり、以降はビンディングペダルと同じく雨後の筍の如く、似た工法のフレームが増えて行きました・・・(敢えて本家と言います)TVTは後にLOOKとは袂を分かって独自の道を進みます。86年以降もツール覇者が偽装を施し、勝負を掛けた山岳ステージで使用した事からその信頼性は高揚し、TVTでなければツールで勝てないとまで言われたほどです。余談ですが・・・TVTはその後、LOOKの対抗馬として登場したペダルメーカーTIMEに吸収され今に至ります~奇しくも80年代後半に相対したフランスのペダルメーカーが、現在でも同じ位置関係にあるのって面白いとは思いませんか~(爆)

8.マウンテンバイク
見た目~中途半端に見え、最初は別世界のモノだと思っていました。
ある時、試乗して見てビックリ!コレは練習に使えるぞ!!
試乗させてくれたのがアラヤ出身の方でした、同社が国内のMTB初と言う話(所説あります!)でしたので、迷わずマッディフォックスを購入!ディオーレ(LXだったかナ)仕様でした。まさに寒冷期の練習に持って来い!直近の記事にも書いていますとおり、自宅から直径1km圏内の里山コースを駆け回りましたネ!
正直、冬場の街道練習では競走レンジまで心拍数が上がらないですヨ~でも、MTBなら上げられるんです!高負荷なので短時間でOK!3周ほど走って、しばし休憩~ってのを3回繰り返し、仕上げは電動ローラーでトラックレーサーに乗って終了!てな具合でMTBを活用していました!!

しか~し、ただでは済まない凝り固まった性格が災いし~ディオーレに嫌気が差し!オフロード系では当時シマノより上級だったサンツアーのXC系へ換装!最初はブレーキ系からだったと記憶しています~しばらくするとホイールも組み変わりフルXCになっちゃっていました!!
最終的にやっぱドロップハンドルじゃなきゃ!なんてクロカンを組んだり、用もないのにアルミフルサスフレーム~XTRが出れば飛び付いて、おまけに軽量チューンなんて・・・

ふと気が付くと、練習して競走走って稼ぐためにやってるのに、MTBがすっかり金食い虫になり、一線を引く事になりました・・・
※MTBの写真がまったく残ってないのでスミマセン~

9.カンパニョーロNJSグループ
最初!噂を聞いた時は信じられなかったデス!!カンパ部品とNJS認定品とはネジの規格がまったく異なっており、まさか!カンパの方がNJSに合わせるなんて・・・

イメージ 13


イメージ 14

このシリーズがセールス的にどんな効果があったのか知り得ません~ただ、カンパの部品を使って仕事(レース)が出来た事は、カンパに憧れて自転車を始めた私にとって人生最大の喜びを感じましたネ!!まっ、私と同じ様な競輪選手は沢山居たと思いますヨ~(笑)


10.ハートレートモニター
その昔・・・練習の成果を測る指標は時間しかありませんでした。ドライブマップや実際に車で走ってコースの距離を知り、経過時間からスピードを把握し出来、不出来を判断していました。先に紹介したアボセットのスピードメーターをきっかけに、国産でも小型で安価なモノが売られるようになって来ると、リアルタイムでスピードを見る事が出来るようになり、後から判断するのでなく、その場で見極めて不完全であればやり直せると言う風に変わって行きました。
そして~腕時計サイズの小型ハートレートモニター(心拍数計・心拍計)がポラール(当時はポーラと呼ばれていました)から販売されると、更にトレーニングの方法に変革が起こりました。そう、「負荷」を把握出来る様になったのですネ!「負荷」に対して身体(心臓)が対応出来ているか、「負荷」のレンジ(心拍数帯)がどのような成果に結び付くのか、そして不調により身体が対応し切れない場合は「負担」となっている事も数値により明確に把握する事が出来るようになりました。
高価でしたが市販されてすぐ飛び付きました・・・そのうちに見てるだけ!と言う事に不満を感じるようになり、結局~満足に使えるようになったのは、およそ10年後~パソコンが一般的になってからでしたネ!

イメージ 15


イメージ 16


イメージ 17

そうそう、最初のパワーメーターSRMの入手も試みていたんですよ!個人で買うってのが珍しかった頃の話です。
SRMもそうですが、まだパソコンの方が専門的過ぎて高価でしたし、(トラック用)のクランクが専用のモノしかなくNJS認定品との格差が大きかった事に迷っている内に時期を逸してしまいました・・・

11.DHバー
これまた、レモンさん効果でしたネ!て言うか~メディアに操られたのかも知れないです・・・

イメージ 18

ルール上、人の後ろに付いて走ってはならなかったトライアスロン向けに、スキーのダウンヒル競技のフォームを流用して開発されたのがDHバーの由縁でした。それをTTに流用するのは当然かと思いますし、実際89年ツールの放送ではレモン以外の選手が使用しているシーンがチラッと出て来ます。

ただ、当時のロード界は保守的な世界でしたので、新しいモノを積極的に取り入れる動きは少なく、少数派であった事は事実です。ともあれ、すべて個人TTで逆転し、優勝をさらったレモンさんがDHバー普及の大役を果たしたのは周知の事実であります!!

イメージ 19

以後~トラックの世界でも必須となり、ブルホーンバーのみだった時代に比べ、乗車フォーム、フレームの設計が大きく変貌し、ファニーバイクが淘汰されて行ったのも事実であります!!

12.デュアルコントロールレバー
以前の記事にも記しましたとおり!私が知る範囲で競技用自転車、最大の革新はデュアルコントロールレバーの登場だと思っています!!

イメージ 20


イメージ 21

シマノのSTI、カンパのエルゴパワー、一般ユーザーとしては比較的早い時期から使い始め、組み立て、実践使用の両方で、一歩先を進む事に対し優越感を抱いていました!今となっては当たり前の存在であり~何も珍しいモノではありませんし、反対に最近の製品は型式でワイヤーの取り回しが違ってるなんてのに苦戦し、泡を食わされる事もしばしばあります(大汗)
よくよく考えると、もうすぐ自転車歴30年を迎える大ベテランでさえ、デュアルコントロールレバーしか知らない!って人が出て来るって事ですネ~(凄)

13.軽量チューンパーツ
東西冷戦の終結により、某国の軍需産業が縮小~高い工作技術を持った工場、職人が自転車の部品製造に方向転換し数多の新興ブランドが誕生しました。それらは当時、隆盛を極めていたMTB向けを中心に、航空機用の高強度アルミ合金やチタニウムを用いた軽量パーツを製造、さらにはロードレーサーにも範囲を広げ、MTBと共用出来るステムやシートピラー、シールドベアリング、チタン軸のハブやBB、ヘッドパーツ、そして~シマノやカンパ互換の軽量ボルトセット等々・・・
ハマりましたネ~関東の方へ遠征に行くと東京に寄り道して、怪しげなネジ類が沢山売ってるショップをはしごするのが常だったりしました!ラジコン用のパーツが流用出来るなんて聞くと~模型店にまっしぐらなんて!!

イメージ 22

流石にカンパはいじりませんでしたが、デュラ7410をベースに軽量チューン!!まだ重かった黎明期のSTIを使い、32Hの手組ホイールで7キロ台!!今思うと異常なぐらい力入ってましたネ・・・でもMTBの時と同じで本末転倒~最後は「自分の体重減らしたら~」と言う嫁の一言で完了です(爆)

14.完組ホイール
コレまた今では完組!出来合いが当たり前、ホイールはブランド、銘柄を選んで買うモノ~その昔はリム、ハブ、スポークを本(穴)数、組み方を選び、ショップで組み立ててもらうのが当たり前でした。定番の組み合わせだったら既に組んである、いわゆる吊るしのも有りましたが、どうしても完成までに時間を要するのがネックでした~
ROVALのが完組の最初でなかったかと思うのですが、私が初めて手に入れたのはカンパのシャマルです。92年の東京サイクルショーが初出だったはず!その後スグ入手しました!!コレが良かったですネ~軽くって良く進み!気が付けばウン十キロ~!!

イメージ 23

永年、手放さず持っていたのですがある時、高校生のトラック決戦用として前輪を貸しました~しかし、落車で大破・・・(悲)
良い代替え品が見当たらず、後輪のリムを転用し前輪を再生しました。その後、5年ぐらいは実戦で使いましたネ~でも、またもや落車で破損・・・そのままの無残な状態で今も残っています(涙)
今は当たり前となったカンパ完組ホイールの元祖!初代シャマルは最初から逸品でした!!

15.電動変速機
長々と綴って参りました~そのほとんどは2019年現在、何も珍しいと言うか、特別扱いする意味が分からないと思います。
電動変速機も同じくで高級品ではありますが、何も特筆に値するモノではありません。
でも、その登場はいきなりだったと今でも記憶しています・・・最初に噂話を聞いたのはシマノでした~それはまだSTIが出て間もない頃。「シマノはもうSTI次の電動変速システムを開発してるらしい!」電動と言われても~
大きく、重くなっては意味がない!故障したらどうなるのか・・・等とデメリットの方ばかり連想してしまいます。
そのうち、カンパからも・・・せっかく暗黒期を脱出したのに、そんなモノに手を出したら元の木阿弥・・・決していい事は思い浮かんで来ませんでした。
そんな時、多分ツールの放送でレモンさんのレーサーが初めてだったと思います。ハンドルに装着されたスイッチを操作すると呼応してリアメカが動作する!しかも見た目は当時のリアメカとそんなに変わらない大きさ!!
もう、優勝を狙うほどの実力は無かったですが、そこはレモンさん!電動メカで一発逆転なんて事を想像しちゃいますから~先のシマノ、カンパの電動変速機と聞いた時とはまったく逆で、ポジティブな想いを抱かせるのは流石です!!
てな訳で~迷わずZAP・MAVIC・SYSTEMを入手しました!でも顛末は、以前記事に記した通りです!!

イメージ 24


イメージ 25

ただ~その際も記していますとおり、電動変速システムのメリットは操作部を何処にでも配置できる事です。私的にはブレーキレバーとは切り離したマビックの考え方が正解だと思いますし、未来の姿はそこにあるような気がします!!

てな訳で~この40年、自身が革新的と感じた出会いにつきまして長々と綴って参りました~大まかな部分は抑えていると思いますが、見方を違えればもっと、もっと異なったアイテムやエピソードもあったかも知れません。
文中に何度も登場してますとおり、ほとんどが今では当たり前の存在なんですよネ!!
令和まであと少しです~この先、競技用自転車がどのように進化していくのかは未知数ですが、私的にこの頃は自転車の方が進歩し過ぎて、乗り手が置いて行かれているように感じます。一先ず立ち止まって現実を見直し、人に優しく、乗って、触って楽しめる方向を探求して欲しいなと思いました!!

皆様にとっても新しい「令和」が、良き時代でありますように~